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ニュージーランドへの旅  

息子X(以後X)オタゴ大学歯学部 卒業式 出席のため

 

@   ニュージーランドは南半球にあり、北島と南島があります。

         季節は日本と全く逆になります。

      ★日本との時差は夏時間で4時間、冬時間で3時間ニュージーランドの方が早いです。

      ★北島の西にニュープリモスがあります。Xが13歳で留学した三島市の姉妹都市で

タラナキ山という富士山に似た山があります。ここで4年過ごし卒業しました。

      ★南島の東にダニーデンがあります。 そこにオタゴ大学があります。 イギリス

       のスコットランドをまねた町でエディンバラそっくりです。 本当に美しい学生町です。

      ★南島のクイーンズタウンは女王様が住むにふさわしい町ということで命名されたそうです       。息をのむ美しさです。

      ★南島のテアナウは有名なミルフォードサウンドへ行くための宿泊地として使われることが

多いそうです。

      ★南島のミルフォードサウンドは、氷河が生んだ、奇跡と神秘の風景です。船や飛行機でも

観光できます。

      ★南島のワナカは湖がとても美しい町です。 

 

A   旅行日程

 1日目        実家の母が我が家へやってきました。

 2日目        NZAIR で クライストチャーチに飛びました。

            エンジントラブルで出発が5時間も遅れるというハプニングが

  起こりました。 日本時間で夜中のフライトでした。

   3日目        NZAIR 国内線で クライストチャーチから クイーンズタウンへ

             飛びました。  Xは レンタカーを借りて、 ダニーデンから空港へ

              迎えに来てくれていました。 もう歩かなくて済むと思うとほっと

              しました。 今回は X一人の運転でした。 その日は少し観光をして

              クイーンズタウンへ泊りました。

   4日目        クイーンズタウン観光とスカイゴンドラに乗りました。母だけ休憩で夫

と私はリュージュに挑戦しました。もともと運転が苦手な私はカーブを

曲がれず、止まってしまい、後ろの方にも迷惑をかけました。夫が助けて

くれてなんとか目標地点まで運転できました。夕食はアミスフィールドと

いうワイナリーをXが予約してくれていました。メニューもなくシェフ

お任せの高級レストランがついていました。まず、ワインを試しに味わっ

てみるところから始めました。これにも別料金がかかります。私が「母は

甘め、私はそれよりも甘さ控えめ」と英語でお願いしました。夫とXはそ 

 れぞれ好みを言って味わっていました。夕食に飲むグラスワインがここで

決まりました。ニュージーランドではワインは水代わりのようであり、飲

んで車を運転しても大丈夫だそうです。もちろんパーセンテージが決ま

っているとは思います。夕食は豪華そのものでした。前菜でおなか一杯

になりそうなのをXが止め、「残しなさい。」とばかり言っていました。

メインは子羊の肩肉でした。骨つきです。これまでのどの肉よりも柔らか

くとろけるようでした。柔道整復師の資格を持つ母は肩甲骨と骨頭に

興味深げでした。私も解剖の授業を思い出しました。デザートまで楽しみ

外で記念写真を撮りました。ニュージーランドに住んでいてもこのワイナリーへはなかなか来ることができないそうです。母は関西人らしく私から

教わった“I  enjoyed  it.” を周りの方々に頭を下げながら連発していました。

私はその度胸にびっくりしました。母の方が強いです。その近くの牧畜地でも写真を撮りました。母はヒツジのそばに行きたがります。日本の公園の鹿と同じ感覚のようでした。ヒツジはさっさっと逃げて行って、振り返りました。母は「ごめんね、同僚食べて。」と叫んでいました。私は「同僚」という日本語にはじけてしまい、新喜劇で育った私たちのルーツを見た気がしました。ミルフォードサウンドは危険で泊るところがないので最も便利なテアナウのホテルにチェックインしました。

5日目           車でミルフォードサウンドへ行きました。 Xが事前にクルーズを予約し

              てくれていたので 大きな船で雄大な自然を楽しむことができました。 

昼食も祖母(私の母)を気遣い、日本のお弁当を注文してくれていました。

母は大喜びでした。 かなり冷え込み母も私も風邪をひいてしまいました。

再び、テアナウへ戻り宿泊しました。

6日目           ヒツジと牛、馬、美しい空をひたすら眺めながら、ワナカまでドライブ

しました。母は初めて見る大自然に「感動」「感動」の連発でした。

昨年癌で逝った夫(私の父)の写真を握り締めて風景を見せていました。

ワナカでホテルにチェックインしてから湖を見ながら鳥たちと戯れました。

お土産も買う余裕が出てきました。ワナカ泊。

7日目           いよいよダニーデンまでの旅です。 人口が少ないせいか、ほとんど

8日目           車に出会いませんでした。 息子は、スノーボードで慣れた道らしく

9日目           相当なスピードを出していたようです。 かなり時間がかかるので、私

10日目           たち3人は昼寝をすることが多かったです。

              やっとダニーデンに着き、ホテルにチェックインしました。 Xは自分の

              アパートに一度戻りました。 Xのアパートに行ったり、スーパーで

  買い物をしたり、大学へ行ってお世話になった先生方にご挨拶をしたり、

  土産物をどっさり買ったり等々充実した時間でした。

11日目           Xが大学で角帽子とマントのサイズを測りお借りしました。大変な人数で

              私たちも一緒に並び順番を待って写真を撮っていました。

12日目           卒業式  午前中

★パレード 

スコットランド風のチェックのスカートをはいた人々が音楽を

奏で先頭を歩きだしパレードの開始です。大学からセント

ポール大寺院まで約500メートルを角帽子にマント姿の学生たちが続きます。博士号取得者が一番前です。学部によって

マントの色が違います。歯学部は紫色でした。ニュージーランドに歯学部はオタゴ大学のみで定員は80名です。男女比は

同じくらいか、やや男性が多かったように思います。国籍は

わかりませんが、肌の色、顔立ちは本当に様々で、アジア系

(中国・韓国・マレーシア・台湾・ららトンガ・フィリピン等々)、インド系、アフリカ系、ヨーロッパ系(イギリス)等々、まさしく移民の地にふさわしい光景でした。

★お昼  立食パーティが歯学部でありました。 先住民族の舞踊
 「ハカ」を男性は必ず覚えさせられるのですが、ここでもまず、
 男性の卒業生による「ハカ」から始まりました。 
Xはかっこよか ったです。 親バカですが、彼は「GOOD LOOKING

 と言われ、バイトでモデルもやっていました。

★休憩  式そのものは午後4時からなのでXのアパートで母と私は     ベッドで横になりました。 夫はリビングでパソコンとテ     レビに夢中だったようです。

★戴帽式  歯学部の卒業式は素敵なホールで行われ、カードを持っ      ていないと入場できません。席は決まっていないので早      くから並び良い写真が撮れるよう前の方に座りました。      博士号から順次呼名され学部長より角帽子をちょこんと      頭にのせてもらいます。自分のものはすでに手に持って      いるので、セレモニーだけのためにちょこんと一人ずつ      頭にのせるのです。その横で卒業証書も貰うのですが、      片手でひょいと言う感じで日本とは全くマナーが違いま      す。母は夫の写真を胸にずっと泣いていました。

★式辞  医学博士、歯学博士、その他もろもろの博士号を持った方     の式辞でした。 全部はもちろんわからないのですが、母     のために迷惑は承知で小声で日本語に訳していました。最     後に「勇気と希望と謙遜さを持ち、わからなければ ”          Help” を頼めることができれば、社会に貢献できる。」     と話されました。 感動でした。

     言葉を超えた偉大な人柄が伝わってくる式辞でした。母は     ここでも泣き続けていました。

★写真撮影  永遠に続きました。国籍なんて関係ありません。

       皆我が子の写真を撮りたいのです。 学生たちも離れ       離れになっていくので色々なグループで写真を撮って       いました。 長い時間でした。

★立食パーティと写真購入

  やっと撮影が終わったかと思うとテントへ連れて行かれました。 ケーキやワインなど立食形式で一休みでした。Xは長いラインに並 び写真屋さんから戴帽式の写真を5枚買い、3枚は額に入れてもら いました。両方の祖父母へと私たち両親へは額入りをくれました。 さっき卒業式が終わったのにもう全員の写真を販売していることに 仰天しました。でもとても幸せでした。 これを割らないで日本ま で持って帰ることが課題になりました。

★夕食  高級レストランを予約してくれていました。卒業式とこの    夕食はドレスアップするように言われていたので夫はスーツ    、母と私はおしゃれなワンピースにネックレスイヤリングま    で付けていました。レディーファーストの文化に母はとても    戸惑ったようで、男性より先にワインが注がれると大変恐縮    していました。

★その夜  私たち3人は疲れ切ってホテルへ帰り直ぐ寝ました。

Xたち学生は親との夕食を済ませ、一晩じゅう飲んでいたようです。最後はXの部屋に集まったと聞いて、親として嬉しく思いました。

  13日目       私たちは帰りのパッキングを始めました。 Xは昨夜寝ていないので、11時

            頃私たちを迎えに来ました。最後のダニーデンです。夕食まで共にし、私たち

            は、Xとダニーデン空港で別れ国内線でオークランドへ夜飛びました。

            オークランド泊。 B&B

  14日目       NZAIRでオークランドからの直行でした。昼のフライトなので、最新の

映画を2本私は見ることができ満足でした。母も英語文化にだいぶ慣れ、私が

詳しく説明していると、「ちょっと黙っててくれへん。自分のペースでやりたい

から。」とはっきり言いました。私にとってのひ祖母、祖父母、父の4人の介護

をし、看取ってきた日本女性の強さがにじみ出ていました。母を尊敬していま

す。

空港でスーツケースを送り、身軽になって、実家まで帰りました。少しお話

をし、近くの自宅に戻りました。 夫は次の日勤務なのでベッドに直行しま

した。私はお風呂の準備をし母に入ってもらって、私も入りホッとして寝る

ことができました。

  15日目       ゆっくり寝て、母を私の車で駅まで送りました。 指定を取り        

昼食に居酒屋へ行きました。 ワインジュースでしたが、お刺身と

          サラダ、とろろの揚げ物がおいしくて母は喜んでくれました。ごはんセット「

ご飯とみそ汁」は1つだけ取り二人で分けました。 母をホームまで

送り出発まで見届けました。 母から自宅に着いたと電話があり私たちの旅は

終了しました。

 

 もし、ニュージーランドへの留学や旅行に興味がおありでしたら私までお知らせください。何かお役に立つかもしれません。

 顔面神経麻痺から鍼灸師へ/KANON FUJITA